minbaを始めたきっかけ

はじめまして吉田恵(よしだ めぐみ)と申します!

minbaの代表を務めさせていただいております!


まずは私のことからお話させてください。

少し長くなりますので、ごゆっくりどうぞ!!


【吉田恵は平戸生まれ平戸育ち】

2022年で 現在40歳 ボディメイクトレーナーをしながら

minbaの運営をしております!

生まれも育ちも長崎県平戸市18歳まで平戸に暮らしておりました。

よしださんちの8人姉弟の上から2番目です。


【大家族・田舎・農家の娘】

8人姉弟の2番目として生まれた私は

妹や弟が増えるたびに「小さなお母さん」として家事や農業を

自然と手伝うことが増え、あまり学生らしい学生生活はあまり記憶にありません。

高校生の時には「平戸にいると自由がない」「世間が狭い」と思うことが多く
息苦しくて外に出ることばかりを考えていました。

高校を卒業し愛知県の短大に就職進学。大家族の宿命と思い

朝は学業、夜は工場と自分で学費を稼ぎながら短大に通いました。

短大卒業後、埼玉に引っ越して関東でお仕事をしていました。

事務職約4年、汎用系のプログラマー約3年

ブライダル運営7年

イベント企画・運営・イベント販売を約4年。

気が付けば「やってみたい!」と思った仕事は全部やってました。


【地元平戸に戻ることになったきっかけ】

私が約20年間逃げ続けた「帰りたくない故郷」に
戻るきっかけになったのは「心臓病の姪の存在」と
「SNSで2年前に知り合った栃木のお米農家さん」のお話でした。


【当たり前に生きることの奇跡】

姪は日本に症例のない心臓の病気

私たちの家族にとって彼女の存在は本当に特別です。

毎年生きられるか分からないような

急変をくりかえしながら、何とか命がつながりこうして存在し続けてくれる。

しかし現実問題。そんな姪を抱えた姉家族は決して裕福でもなく

かといって共働きでしっかり働けるわけでもない

姪が大きくなればなるほど、症例がない分新しい障害や病気が出てくる。

出来ることなら、家族で支えるためにも
実家の家業を事業化できないものかと4年前から情報収集と勉強を始めました。


【稲作本店さんとの出会い】

そんな時に出会ったのが
栃木のお米農家「稲作本店」さんでした。
東京ドーム4個分の田んぼを運営するご夫婦は
お父様のご病気をきっかけにやもおえなく就農することになったそうです。
お二人の気になるこれまでの道のりはこちらから


稲作本店とは?


二人は過酷な逆境を最中、何もかも放り投げて東京に行こうかとも考えながらも
「このままではいけない」とお米の6次化に挑戦したり
PRのためにマルシェ参加したり、自らイベントを開催し

くりかえし挑戦してきたことで
現在ではめざましテレビに出演したり、全国紙に掲載されるような

有名なお米農家さんへと進化しました。

2020年の1月に初めて対面してから、

コロナ禍ではありましたが感染予防対策に気をつけながら

数えるほどですが、わたくしもご縁をいただき

勉強のために、稲作本店さんのマルシェ出店やイベントなどのサポートをさせて

いただくこともありました。


【コロナ禍だから決断できた】

ありがたいご縁でもあり、2021年の3月まで私の中で

いずれは稲作本店さんのいる栃木へ移住してお手伝いする予定でした。

しかし、新型コロナの長期化で、ふと自分のこれまでの行動を振り返ったときに

これからますます1次産業のデジタルからは加速、でも実家はアナログなまま。
このままでは両親も地元に残る弟家族も農業は続けることも難しく
事業化が遠のくどころか頓挫してしまうと思い
私のスキルや経験を活かして持続可能な事業にできないかと考え
急遽7月から平戸に戻ってまいりました。


【20年ぶりの地元暮らしで受けた衝撃】

地元に帰ってきて私が驚いたことは

「私がいた20年前と私の周りの方々の話す内容があんまり変わっていないこと」

驚くほどクローズな環境


変わることだけが最良というわけではもちろんありませんが
家電からスマホの時代、小学校の授業すらオンラインの時代
使うアイテムも変わり、たくさんの情報も入る時代に
なぜ話す内容が話題がこんなに変わらないのか?


それに気づくまでに時間はかかりませんでした。

それは私が平戸に帰ってきて、事業化に向けて試行錯誤しながら

6次化で私に出来ることを片っ端から創り込む毎日の中で気づかされたことでした。


【機会格差と同調圧力】

それは「知らないことへの無意識の恐怖」
特に感じるのは「人と違うことをしてはいけない」という『同調圧力』
正直な話、家族ですら私がやっていることは
「こんなことして何のためになるの?」
「そんなことで生活できると?」「無駄じゃない?」
「どうせうまくいかない」
口では応援してくれる人はいたものの協力してくれる人はほぼ皆無でした。


幾度となく浴びてきた「人と違うことをするな」「安定してないことへのダメ出し」

「新しいことへの恐怖に任せた心ない言葉」

平戸に戻ってまだ1年もたたないけれど、毎日ばきぼきに心おられてました。


家族にも求められてないし、大きなお世話だったのかもしれませんが

そんな中でも自分が信じた信念があるからこそ続けて来られた

(といいながら、何度友だちや離れて暮らす妹や弟家族に泣き言をこぼしてきたことか)

オンラインショップを作り、マーケティングも1から勉強、SNSやブランディングも

まだまだ勉強中ですが、無駄な経験は一つもありませんでした。


わたしの根性もなかなかです。笑


【「やってみんば!」という気持ちを育みたい】


   誰かがやるだろう、どうせ失敗する、自分には無理


当たりまえに夢を語ることも出来なければ、挑戦することすら

周りの目を気にしてままならない。


自分が経験して感じた「とんでもない疎外感」と心無いバッシングの嵐

だからこそ

私は「やってみんば!!」っと思っている方々の応援がしたい!!


そんなきっかけをいただいたのが

のちにminbaとなるTOMO CAFFEさんでのマルシェでした。


この場所に入った瞬間から始まったイメージは

「人や想いをつなぐ場所」
「やってみたいを形にする場所」
「チャレンジしたい人がちゃんと1歩目を踏み出せる場所」


壮大なテーマではありましたが、この場所やオーナーさんとのご縁を通して

実現したい気持ちが強くなり、資料まで作りこんでオーナーさんに直談判!


何度かお話させていただいたことで

やりたい!から絶対やる!になってました。


まだまだ私自身未熟でやるべきこともやりたいことも

山積みですが、おかげさまで何とか2月にオープンを迎え

少しづつですが、レンタルいただいたり、ご出店いただいたり
目指す未来を共有したり、大切な想いを伝えてくださったりと
ステキなご縁の波紋を感じております。


私の小さな一歩は1年2年でガラッと変わるとは思いませんが

10年後20年後 
子供たちや子供たちの孫のために
土台を作っていくこと少しずつ積み重ねていきたい。


何を隠そうお子様やお孫さんたちが未来は「今」私たちが創っています。


【minbaで叶えていきたいこと】

「スキ」なことを「スキ」な時に「スキ」なだけ出来る場所を

創り続けること

関わってくださる一人でも多くの方と
その方の大切な方々の未来が豊かで健康であること
まず中心となる「ご自身」を満たし輝くことと考えます。


「夢を叶える1歩目の場所」

そこから地域貢献や関係人口の創出をするために

minba自身もともに成長してまいります。


ここまでお読みいただき誠にありがとうございます!!


まだminbaにお越しになられてなければ

ぜひ遊びに来てくださいませ!


2022.3.7 minba代表 吉田恵

平戸から全国に発信!うごいてminba

長崎県平戸市から全国へ発信! 平戸の「やってみんば!」を もっと気軽にそして楽しくはじめる「みんなの場所」を創りだす

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